人生100年時代は、70歳までみんな働く時代。
あなたは定年後どんな働き方をしたいですか。
この記事は、私の33年間にわたる今までの会社員人生と、これからの働き方について書いた記事です。
あなたが定年後の働き方を考えるヒントにしていたければ幸いです。
40代後半からのモヤモヤ「60歳まで働くイメージ」
私と同じ昭和バブル世代と呼ばれる人や、その下の団塊ジュニアと呼ばれる世代は、大学を卒業すると多くの人が新卒で社会人になりました。
私の社会人生活も、新卒で広告制作会社に就職したところからはじまります。
会社員になってからは、朝から晩まで働きづめでした。
当時はまだ週休1日でしたし、休日出勤も多かった。
でも若かったし、仲間がいたから頑張れました。
広告の仕事も一通りおぼえて主任になって部下もできました。
広告制作会社に8年ほど勤めた後、このままこの会社にいてはいけないと思い始めます。
何か心が騒いだのです。
新しいことがしたくなって会社をやめる決意をしました。
この時は会社の人から引き止められました。
「今、転職しても、ここよりいい会社はないぞ」そんな風に脅されもしました。
当時は30歳過ぎで会社を辞めるという人は、あまりいなかったからかもしれません。
終身雇用がまだ信じられていた時代です。
結局は、32歳で会社をやめてアメリカへ自費留学。
1年たって無一文で帰国します。
次の就職先を探している時にみつけたのが、外資系のネット通販の日本進出にともなう募集広告。
早速応募しました。
広告会社に勤めていた経験とアメリカで学んできた英語が決め手になって、マーケティング担当として入社します。
本社のCEOにも認められて、2年後には日本の経営チームの一員として執行役員になりました。
あの当地は、仕事が楽しかった。
その後は、
- マーケティングヘッド
- インターナルセールスヘッド
- 日本のカントリーマネージャー
- アジアのカスタマーサービス代表
など、いろいろな経験を積んで、順調に会社員としてのキャリアをつんできました。
でも40代後半ぐらいから右肩上がりだった日本の売上も次第に落ちていきます。
グループ全体の業績も低迷し、私を引き上げてくれたCEOは交代することに。
そして今までアジアで唯一本社に直接レポートしていた日本はアジアの傘下にはいります。
日本の特別扱いは終わりました。
予算も削減され始め、人も削減されはじめます。
そして私は将来に対する漠然とした不安を持つようになりました。
すごくモヤモヤするのです。
40代の後半になった私には、60歳までこの会社で働くイメージが全くできませんでした。
まだ子供も小さいし、家のローンもある。
65歳で年金がもらえるようになるには、あと20年もある。
「何とかしないと」
そんな気持ちが強くなってきたときに、新しいCEOからのニュースが飛び込んできます。
- アジアのオフィスを半分閉める
- 日本の人員を半減する
- 日本のカスタマーサービスは中国に移す
私の嫌な予感は、あたってしまいました。
日本のカスタマーサービスチームを見ていた私は、チームを解散して、自分も会社を去ることになります。
自分が立ち上げ自分がここまで成長させた会社。
私を育ててくれた会社には、感謝しかありません。
でも、その会社にまさか自分が切られるとは。
32歳で会社を辞めたときは、自分で決めた新しいチャレンジでした。
でも今回、会社を辞めるのは、私の意志とは全く関係ないところで決まったのです。
50歳になった私は、途方に暮れてしまいました。
激動の50代「会社に翻弄された6年間」
50歳の私は、リストラで会社を辞めることになりました。
私の意志とは関係ないところで、会社をやめることが決まったのです。
もちろん日本の法律は厳しいので会社は勝手に辞めさせられないものの、結局は社員に選択肢はありません。
粘っても疲弊するだけです。
会社を辞めることがわかった私は、知っているリクルーターに連絡をとりまくり、次の就職先を探し始めました。
タイミング良くある日本企業から募集があり、応募したところ、数回の面接をへて入社が決まりました。
「ああ、何とか切り抜けた」とひと安心しましたが、実はこれが悪夢のはじまりでした。
部長職で入社しましたが、会社にいってみると机は仮の机。
部長なのに部下もいなければ、ほとんど仕事はありません。
コピー機を使ったら「コピー機を使わないでください」といきなり怒られる始末。
それでも会社に遅くまでいるのが当たりまえな感じで、仕事がなくても帰れない。
おまけに、上司が自慢ばかりのパワハラ上司でした。
くだらないことで執務室に呼びつけられ嫌味をいわれる日々。
外資系が長かったせいもあって、いまだにこんな古い体質の会社があるのかと驚きました。
自分から仕事を取りにいったり、頼まれてもいない企画書を書いて提出したりもしました。
でも状況は何も変わりません。
辛い日々が6か月続いた時、私は辞表を提出しました。
こんなところにいたら、心がやんでしまうと思ったのです。
この会社をやめて半年間は無職でした。
自己都合なので失業手当も半年はでない。
無収入の状態が続くと焦ってきます。
給与がないと落ち着かなくなるのはサラリーマンの性ですね。
でも捨てる神あれば拾う神ありで、6か月後に米国メーカーの日本の販売会社に入社することができました。
以前から懇意にしていたリクルーターが声をかけてくれたのです。
この会社では、社長とも気があい順調に仕事をすることができました。
西宮が本社で、はじめての単身赴任をすることに。
米国本社への出張も年に数度こなし、マネジメント層にも顔を覚えてもらいました。
環境にも慣れてくるにつれて、この会社でなら定年まで働けそうだと感じ始めていました。
でもそうはならないのが人生です。
会社の決定が、また私の人生に影響を与えます。
またも米国本社のCEOが変わり、日本の社長が突然辞めさせられてしまったのです。
日本の社長の元でプロジェクトを強力にリードしていた私への風向きは、完全に変わりました。
今まで反社長派だった管理職は勢いづき、動かなくなりました。
私は大事な会議にもよばれなくなり、片隅に追いやられた格好に。
「ああ、またこんな風になってしまった」
この会社で、いつまで働けるのか?この会社に居続けても辛いだけだな。
逆風の会社のなかで働きながら、それでも転職先を探し始めます。
そしてある会社からついにオファーをもらいました。
希望の光がさしこみました。
この時55歳、なんと50歳から3回目の転職でした。
人事からのメール「モヤモヤの正体」
55歳から、新しい会社で働き始めました。
なんと50歳からの転職3社目です。
自分でも50歳から3回も転職するとは思ってもみませんでした。
新しい会社は、米国本社のモバイル関連のサービスを提供する革新的な会社。
経営チームの一員として招かれ順調なスタートを切ります。
私にとって全く新しい業界だったこともあり学びに時間はかかりましたが、それでも精一杯働きました。
入社初年度の目標と戦略をまとめたプランにそって、チームをまとめながら前進させました。
手ごたえはあったし、設定した目標にも順調に近づいていきます。
リモートでのミーティングを米国や日本と朝から晩までやる日々。
あっという間に入社から1年が過ぎようとしていました。
期末の人事評価を終え、2期目に向かっての戦略書をつくっているころでした。
人事のヘッドからメールが届きます。
「なんだろう」
それは人事のヘッドと日本の社長と私の3人で話がしたいという内容でした。
そうして3人のミーティングが開かれます。
社長から、「最近は上手くいっているか」、「問題はないか」といった漠然とした問いかけがありました。
まるで聞き込み調査のような感じです。
違和感を覚えながらミーティングを終えました。
その後も、数回にわたって3者ミーティングが設定されます。
次第にミーティングの雰囲気もが、まるで尋問のようななんともいえない嫌な感じになっていきます。
次第にわかってきたは、誰かが私に関して何か悪い話をいっているということでした。
社長に直接「なんていっているのですか?」と聞いてもはぐらかすだけ。
なぜはっきり言ってくれないのか、私のことを信じてくれないのかと悲しい気持ちになりました。
そうして数か月間、よくわからない不安な時を過ごしました。
陰で何か大きな力が動いているような感じです。
誰かが私をやめさせようとしている。
そして入社から1年と数か月がたった3者ミーティングで、私は突然、降格を言い渡されました。
私にとっては、まったく理由の分からない屈辱的な降格です。
この時はかなりのショックを受けました。
何もしていないのに、精一杯努力してきたのに理由がわからない降格。
裏で何かが動いている組織の怖さを感じました。
全く納得がいかなかったので、会社を訴えることも一瞬頭をよぎりました。
でも、そんなことをしても何も解決しないことを、わかっていました。
時間をつかって今の自分と、これからの自分についてじっくり考えました。
「冷静になって考えろ」自分にそう言い聞かせていました。
浮かんできたのは、50歳でリストラになり3回の転職をしてきた、自分のなかでの心の葛藤です。
1人の私はこう思います。
・生計を立てるために我慢しなければ
・ここで会社を辞めたら次はない
・なんとか年金がもらえる65歳まで頑張ろう
そしてもう1人の私もいるのです。
・何のために働いているのだろうか
・我慢して働いて人生を終えるのだろうか
・誰のための人生なのだろうか
そんなことを考えているうちに、40代後半から感じはじめていたモヤモヤを思い出しました。
「あっ!」
モヤモヤの正体がわかりました。
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自分の人生なのに、会社に振り回されて、自分でコントロールできない。
自分でコントロールできないから、自分の将来が見通せない漠然とした不安や焦り。
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これがモヤモヤの正体でした。
「降格」を私が受け入れるのか、人事と社長へ回答する期限が迫ってきました。
私の気持ちは決まっていました。
吹っ切れました。
「そのポジションはお受けできませんので、会社を辞めます」
こうして、私は自分の人生を自分で選択しました。
私の57歳が、すぐそこまで来ていました。
生きる価値とは「私の選択」
私が会社をやめることを選んだ理由は、40代から感じ始めていたモヤモヤの正体がわかったからです。
私がずっともっていたモヤモヤの正体
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自分の人生なのに、会社に振り回されて、自分でコントロールできない。
自分でコントロールできないから、自分の将来が見通せない漠然とした不安や焦り。
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そう、自分の人生を自分で決められないところに、モヤモヤの本質があったのです。
人によって感じ方は違いますが、私の場合はそうでした。
30代で外資系のネット通販の、日本進出に汗を流していた頃は仕事が楽しかった。
でもあの頃のような熱い想いはもうない。
なんでだろうと思いました。
それは、「自分のやりたいことをやっていないから」だと気がつきました。
知らないうちに、自分のやりたいことと会社でやるべきことが、ずれてきているんですね。
知らないうちに、人生の操縦かんを会社に握られている。
そんな感覚です。
自分の人生を自分で決めているか!
ここが、これからの人生を生きていくうえで大切だと思ったのです。
自分が主役の人生です。
もう組織に属するつもりはありません。
ただ誤解しないでほしいのですが、会社で働くことが、悪いわけではないということ。
毎月安定した給与がはいってくるし、厚生年金も健康保険もサポートしてくれるし、会社員の安定感は素晴らしい。
でも多くのミドル・シニアの会社員が、会社のなかで生き生きとしていないのも事実。
生きるために働いていたはずが、いつのまにか働くことが目的になってしまう。
働くことは辛いけど我慢する、給与が途絶える不安はないけど、不満がたくさん。
一方で会社に頼らず、自分で働くこともできるのです。
自分で働くということは、全ての責任も行動も自分でとることです。
安定した収入はありません。
収入は定期的にははいりませんが、収入に上限がないのも事実です。
可能性は無限です。
自分で働くと不安はありますが、不満はないという人がほとんど。
会社をやめて独立をした人の多くが、もう会社には戻らないといいます。
第1のキャリアが、生計をたてるために会社で頑張ってきたなら
第2のキャリアは、自分が主役で、自分のワクワクすることを中心に働いて生きたい。
そう思うのです。
会社員がいいのか、独立するのがいいのか正解はありません。
なぜなら人生の選択権は、すべて自分にあるからです。
人生後半戦を、どのように生きるか、どのように働くか
これを決めるのも自分です。
定年後の働き方を自分で選ぶ
モヤモヤの正体に気がついた私は、自分が主役の生き方を選択しました。
モヤモヤは会社にいる限り消えないとわかったのです。
もう会社に振り回されるのをやめました。
会社が主役ではなく、自分が主役の人生です。
会社に属さない定年後の働き方を選んだ私は、KMSI合同会社という自分の会社をつくりました。
今はひとり社長としてワクワク働いています。
今は、モヤモヤは全くありません。
40代後半から続いた、私のモヤモヤは消えました。
自分の人生は自分で選択できるのです。
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